GEKKAN-WIEN ウィーン日誌

平成元年創刊 ウィーン現地オリジナル取材と編集「月刊ウィーン GEKKAN-WIEN 」編集長が綴る

シェーンブルン動物園 暑い日のアイス

日中30度℃の晴天が続くウィーンで、シェーンブルン動物園では動物たちにも冷たいおやつが支給された。今週末からは35℃の日が続き、日曜は38~39℃になると予想され、ウィーン市は熱中症の予防や車内にペットを放置しないなど呼びかけている。ウィーンの最高気温は1957年の38,3℃なので、予想通りになれば記録が更新される。

gekkan-wienPA_Eis_Berberaffe.jpg  gekkan-wienPA_Eis_Nasenbaer2.jpg

PageTop

Shigeo Iwatani 岩谷滋雄大使

岩谷滋雄在オーストリア日本大使のお別れレセプションが19区の大使公邸で行われた。たくさんの人が集まり、会場の全員でドイツ語で「ウィーンわが夢の町」を歌うなど、歌好きでフランクなお人柄の大使に相応しく盛り上がった。大使との挨拶には長蛇の列が続いた。

gekkan-wienBotschafter(1).jpg

gekkan-wienBotschafter(2).jpg

gekkan-wienBotschafter(3).jpg gekkan-wienBotschafter(4).jpg

gekkan-wienBotschafter(5).jpg gekkan-wienBotschafter(6).jpg

PageTop

ImPuls Tanz 世界博物館でのダンス

ウィーンで開催中の第30回国際ダンス・フェステイヴァル《イムプルス・タンツ》。2つのユニークなパフォーマンスが世界博物館(旧名:民族学博物館)のエントランスホールで開催される。
[EAST-WEST Meetings]7月27&29日Padmini Chettur&David Hernandez、7月31日&8月2日Jerome Bel、8月8&10日Clara Furey&松根充和
[Occupy the museum]8月3&4日

gekkan-wienWeltmuseumTanz.jpg
世界博物館の関係者、イムプルス・タンツ主催者、パフォーマンス出演者などが会見した。

PageTop

ネルソン・マンデラ国際デー

南アフリカ共和国の反アパルトヘイト闘士ネルソン・マンデラ元大統領(95歳)の誕生日に当たる7月18日は、2009年に国連総会で《ネルソン・マンデラ国際デー》として採択された。ウィーンの国連では7月18日から26日までネルソン・マンデラ展を開催する。国連はネルソン・マンデラ氏の67年間にわたる平和活動の不屈の精神において、7月18日に67分間の慈善活動を行うよう呼びかけた。なお同氏は現在入院中。

gekkan-wienMandela(1).jpg
UNOV 国連ウィーン事務所 Yury Fedotov

gekkan-wienMandela(2).jpg
南アフリカ政府代表部 Xolisa Mabhongo

gekkan-wienMandela(3).jpg

PageTop

Passivhaus パッシヴハウス(4)

学生寮を運営する OeAD 社は、ウィーンに4つ、グラーツに1つの計5つのパッシヴハウス基準に達した学生寮を保有しており、1年間に利用する学生数は3009人、既に15000人の世界からの学生がパッシヴハウス学生寮を利用している。そのうちの1つ、ウィーン西駅に近い8階建ての《ガスガッセ学生寮》。

gekkan-wienPassivhaus(9).jpg

gekkan-wienPassivhaus(17).jpg

PageTop

Passivhaus パッシヴハウス(3)

ヨーロッパ初のパッシヴハウス団地群
ウィーン3区にある完成途上の集合住宅群《Eurogate》。この地区では間もなく7000人がパッシヴハウスの住宅に住むことになる。

gekkan-wienPassivhaus(8).jpg

gekkan-wienPassivhaus(11).jpg      gekkan-wienPassivhaus(12).jpg

gekkan-wienPassivhaus(13).jpg   gekkan-wienPassivhaus(14).jpg

PageTop

Passivhaus パッシヴハウス(2)

世界初のパッシヴ・法務センター
ウィーンから北へ車で約30分のコアノイブルクに新しい法務センターが完成し、パッシヴハウス認定を受けた。地方裁判所や留置所などを含む建造物複合体で、この分野では世界で最初のパッシヴハウスである。

gekkan-wienPassivhaus(5).jpg

gekkan-wienPaasivhaus(6).jpg      gekkan-wienPassivhaus(7).jpg

gekkan-wienPassivhaus(15).jpg

gekkan-wienPassivhaus(16).jpg

PageTop

Passivhaus パッシヴハウス(1)

世界初のパッシヴ・オフィスタワー
PHI パッシヴハウス研究所(ドイツ)による断熱、換気、エネルギー消費などの厳しい基準をクリアした省エネ建築《パッシヴハウス》が、ウィーンでも続々と建設されている。
ウィーン2区のドナウ運河沿いにそびえる高さ78m、地下20m、20階建てのライフアイゼン・オフィスビル RHW.2 はパッシヴハウス基準を満たし、世界で最初のパッシヴ・高層オフィスビルとなった。

gekkan-wienpassivhaus(4).jpg

gekkan-wienPassivhaus(2).jpg
認定証を受取る Wolfgang Pundy(中央)とスタッフ(左)  パッシヴハウス研究所 Susanne Theumer(右)

gekkan-wienPassivhaus(1).jpg     gekkan-wienPassivhaus(10).jpg
パッシヴハウス認定プランナー Günter Lang             技術室


gekkan-weinPassivhaus(3).jpg
玄関ホールから見上げると3つのビルが連結されているのが分かる。高層ビルになる前は OPEC ビルがあった。

PageTop

Kunsthalle Krems クンストハレ・クレムス

ウィーンから車で1時間ほど、ドナウ沿いにあるクンストハレ・クレムスでオーストリア女性アーチスト2人、キキ・コーゲルニク(1935~1997)と写真家エルフィー・セモタン(1941~)の展覧会を7月14日から10月6日まで開催。

gekkan-wienKrems(1).jpg
Kiki Kogelnik Retrospektive より

gekkan-wienKrems(2).jpg
写真家 Elfie Semotan   キュレータ Stephanie Damianitsch   館長 Hans-Peter Wipplinger

PageTop

中国における生体臓器摘出

「中国における生きている人間の臓器略奪」と題するシンポジウムが行われた。

gekkan-waienOrganraub(1).jpg

gekkan-wienOrganraub(2)_20130718122520.jpg   gekkan-wienOrganraub(3)_20130718122521.jpg
(左)カナダの人権弁護士 David Matas 2010年ノーベル平和賞にノミネートされた。
(右)米国のジャーナリスト Ethan Gutmann 自然史博物館で開催中の「人体の世界」展の
人体標本に中国人死刑囚の遺体が使われていないかDNA鑑定を要求。

PageTop

ベルヴェデーレ下宮 Gironcoli : Context

ベルヴェデーレ下宮のオランジェリーで「ジロンコリ:コンテキスト」展を7月12日から10月27日まで開催。下宮前のバロック庭園内にブルーノ・ジロンコリの彫刻を展示。

gekkan-wienGironcoli.jpg
Foto: Belvedere, Wien

PageTop

シェーンブルン宮殿入場者記録更新

SKB(シェーンブルン宮殿文化運営社)は2012年度会計報告を発表した。これによると前年比8%増の282万人が2012年にシェーンブルン宮殿を訪れ、入場者は過去最高を記録した。2013年度前半も前年比1%増で既に117万人が入場しており、更に記録更新が予想される。SKBの管轄する王宮(皇帝の住居、シシー博物館、宮廷銀器コレクション)は64万人で前年比2%増、宮廷家具博物館は4万9千人で33%増だった。

gekkan-wienScoenbrunn(1).jpg

gekkan-wienSchoenbrunn(2).jpg

gekkan-wienSchoenbrunn(3).jpg

PageTop

丹波の森協会&13区 友好20周年記念

兵庫丹波の森協会とウィーン13区の友好20周年を記念して、13区庁舎の祝祭大ホールで友好親善コンサートが開催された。これに先立ち祝祭小ホールでは記念品交換とオオムラサキに関する説明が行われた。


gekkan-wienTanba2(1).jpg
丹波の森協会からウィーン13区へのプレゼント

gekkan-wienTanba2(6).jpg gekkan-wienTanba2(7).jpg
オオムラサキについての説明                  友好コンサート立役者の畑儀文さん

gekkan-wienTanba2(3).jpg
Schola progressive / Wolfgang Weyr-Rauch指揮

gekkan-wienTanba2(4).jpg
Chorvereinigung Schola Cantorum / Jiri Novak指揮

gekkan-wienTanba2(5).jpg
    Klezmer Reloaded          Maria Szepesi         Yoshifumi Hata

PageTop

丹波の森協会とシェーンブルン動物園

兵庫丹波の森協会とウィーン市13区の友好提携20周年を記念して、13区にあるシェーンブルン動物園に日本の国蝶「オオムラサキ」が贈呈されることになり、オオムラサキの餌になるエノキの記念植樹式が動物園内で行われた。

gekkan-wienTanba(1).jpg

gekkan-wienTanba(2).jpg

gekkan-wienTanba(3).jpg
シェーンブルン宮殿の日本庭園の前で

PageTop

VDMFK 台湾の画家 Yang Shu-I

gekkan-wienVDMFKyang(1).jpg

gekkan-wienVDMFKyang(2).jpg

gekkan-wienVDMFKyang(3).jpg

PageTop

VDMFK 水村喜一郎

gekkan-wienVDMFKmizumura(1).jpg

gekkan-wienVDMFKmizumura(2).jpg

PageTop

VDMKF 古小路浩典

gekkan-wienVDMFKkoshoji(1).jpg

gekkan-wienVDMFKkoshoji(2).jpg

gekkan-wienVDMFKkoshoji(3).jpg

PageTop

VDMFK 南栄一

gekkan-wienVDMFKminami(1).jpg

gekkan-wienVDMFKminami(2).jpg

gekkan-wienVDMFKminami(3).jpg

PageTop

VDMFK 森田真千子

gekkan-wienVDMFKmorita(1).jpg

gekkan-wienVDMFKmorita(2).jpg

gekkan-wienVDMFKmorita(3).jpg

PageTop

VDMFK 口と足で描く芸術家の展覧会

VDMFK(口と足で描く全世界芸術家連盟・本部リヒテンシュタイン)の国際会議の枠内で、王宮で展覧会が開かれた。75カ国のアーチストの作品200点以上が展示され、日本からは4名の画家が参加した。ウィーンでのVDMFK国際会議&展覧会は1997年と2007年にも開催され、今回で3度目。


gekkanwienVDMFK(1).jpg
展覧会のオープニング前に楽隊が歓迎の演奏

gekkan-wienVDMFK(2).jpg

gekkan-wienVDMFK(4).jpg   gekkan-wienVDMFK(3).jpg
マルテーザ(マルタ騎士団福祉奉仕団)の看護士がヘルプ

PageTop

WHO ヨーロッパ閣僚会議

《ヘルス2020》のコンテキストにおける栄養と非感染性疾患(生活習慣病)に関するWHO(世界保健機構)ヨーロッパ閣僚会議を7月4日と5日に王宮で開催。ヨーロッパ25カ国の健康大臣が集まり、非感染性の病気に対する栄養の役割について討議する。肥満の増加と劣悪な食習慣が心臓循環器系の疾病、糖尿病、ガンなどをもたらすとされるが、特に子供の肥満が問題視されており、対策が問われている。

gekkan-wienWHO(1).jpg

gekkan-wienWHO(2).jpg

gekkan-wienWHO(3).jpg
英雄広場でのヨガ:王宮での会議の合間に、栄養だけでなく身体を動かすことも大切とアピール

PageTop

アジアにおける核セキュリティセンター

JAEA(日本原子力研究開発機構)のISCN(核不拡散・核セキュリティ総合支援センター)、VCDNP(軍縮・不拡散ウィーンセンター)、PMJ(日本政府代表部)の共催で、アジアにおける核セキュリティセンターについて討論会が開催された。

gekkan-wienVCDNP(1).jpg
日本政府代表部会議室にて

gekkan-wienVCDNP(2).jpg
千崎雅生ISCNセンター長

PageTop

美術史博物館とフランドル絵画

美術史博物館はベルギー・フランダース政府との協定により、今後5年間にわたり毎年、フランドル絵画1点の貸し出しを受けることになった。最初の1点はブルッヘのグルニング美術館より「聖エリーザベトとポルトガルのイザべラ」で、クンストカマーの第30展示室に納められる。

Petrus_Christus.jpg
(c) Groeningemuseum, Brügge

PageTop

MUMOK サイモン・デニー展

現代美術館MUMOKは地下2階で特別展サイモン・デニー「キム・ドットコムの私物」を7月5日から10月13日まで開催。サイモン・デニーは1982年生まれのニュージーランドのアーチストで、2012年にBaloise美術賞を受賞した。

gekkan-wienMUMOK(1).jpg
Karola Kraus, MUMOK 館長  Simon Denny  Mattthias Michalka キュレータ

gekkan-wienMUMOK(2).jpg

PageTop

via donau ドナウ通航年次報告

オーストリア交通・投資・テクノロジー省の子会社「ヴィア・ドナウ via donau 」がドナウ通航に関する2012年の年次報告を発表した。これによるとオーストリア域内通航は前年比で約8%増加した。
ドナウ川が交通路として利用できた日数は2012年は348日。洪水や氷結などが原因で通航不可となった日もあったが、利用可能率は95.1%だった。

gekkan-wienDonaumarina(1).jpg

gekkan-wienDonaumarina(5).jpg
記者会見は「ネグレリ号」船内で行われ、近くを船舶が通過するたびに揺れた。

gekkan-wienDonaumarina(2).jpg
ドナウ上流方向にウィーンの北の森、国連ビルなどが見える。

PageTop

ヴォルフガング・シュルツの思い出(3)

Wolfgang Schulz
war eine zentrale Gestalt in unserem Orchester, ein herrlicher Solist und hervorragender Lehrer.
Wahrscheinlich war er dazu noch mein bester und wichtigster Freund.
Ausserdem war er mein absolut bester und wichtigster Lehrer.
Unvorstellbar, wie alles ganz anders gekommen wäre, hätte ich Wolfi nicht kennengelernt und hätte er mich nicht so angenommen.
Ich habe so ziemlich Alles bei ihm gelernt.
Es war nicht immer einfach, als Oboist von einem Meister-Flötisten unterrichtet zu werden, aber es hat sich weiss Gott ausgezahlt.
Ich werde ihm immer dafür dankbar sein.
Wir hatten wirklich ein ganz enges Verhältnis zueinander, viele Zuhöhrer meinen, dass man das auch gehöhrt - und natürlich auch gesehen hat!
Mit ihm zusammen zu musizieren war für mich jedes mal sehr herausfordernd und ein kolossaler genuss.
Ich werde ihn immer vermissen!
Martin Gabriel

gekkan-wienGabriel_20130701150858.jpg
Foto: Martin Gabriel

PageTop

ヴォルフガング・シュルツの思い出(2)

1995年から一緒に演奏
 私が初めてシュルツ先生と一緒に演奏したのは、1995年から毎年出演している草津国際音楽祭です。そこで、たびたびご一緒させていただいたご縁で、カメラ-タ・シュルツやフランスの音楽祭で一緒に演奏させていただきました。
 シュルツとの思い出でぜったい忘れられないのは2009年にハイドンのリリエンコンチェルトのCD録音した時の恐怖の出来事です。録音初日、気合いを入れて新しく買った靴をはいたせいか、家のドアを出た瞬間につんのめって楽器ととも倒れてしまい、ケースを開けて真っ青になりました。コントラバスは首の付け根で折れて2つに分かれてしまっていたのです。幸い家にもう1台楽器があったので、あわててそちらの楽器に弓や松脂を入れ替えて何とか遅刻せずに現場に着いたのですが、そこで再び青くなりました。パート譜だけを入れ替えるのを忘れてしまったのです。シュルツに事情を話したら、スコアを貸してくださり、初日の練習はほかの仲間にも気付かれずになんとか無事終えました。私は、楽器が壊れたことと、楽譜を忘れた失敗でかなりめげていましたので、帰る時に「また、明日。でも、楽譜もいっしょにね」と、軽く言ってくださったので、ほっとしました。
 先生が音楽監督の国際音楽祭が南フランスであり出演しました。1週間近く滞在するのですが昼食と演奏後夜10時から1時ごろまで、シュルツがその間借りている一軒家の中庭に私たち演奏家が集まってシュルツ家お抱えのコックの食事やワインをごちそうしてくださるのです。シュルツは仲間を楽しませてくれようとしていたのです。食い意地が張っている私はいつも必ずシュルツに「昌枝、おかわりは」と聞かれて何杯もおかわりをしていました。仕事なのに休暇旅行を楽しんでるような雰囲気、一日中仲間とプローベと夢のような日々を楽しませていただきました。
 シュルツさんは小さい頃から早くにお父さんをなくした苦労などもあったためか、人の面倒見が大変良く、自分たち夫婦の2人のお子さんのほかに2人、小さい時から引き取って育てています。奥さんもとてもよくできた人です。
 ウィーンフィルの中でもなかなか親分肌だったようで、ある時プローベを見学していたら、若い指揮者がむやみに何度も同じところをやらせるので、皆を代表して「一体なぜ、何度もやらせるのか説明せよ」と質問している光景がありました。風格もあり、見かけは親分。むすっとして見えるのですが、心は暖かく頼れるお父さんという感じで、私は、一緒に飲んでいる時はパパシュルツなどと呼んだりしていました。レッスンの時もどなったりすることもなく、うまく吹けない生徒にも丁寧に教えていたようです。日本にも年に4~5回教えたり演奏でお見えになっていました。日本にいらしたときは必ず寿司を食べに歩いていました。おいしいものを食べることには情熱を注いでいました。
 グルメと運動不足と仕事のしすぎのためか、心臓のバイパス手術のため録音の仕事がキャンセルになることがありました。そのあと、かなり食事に気をつけて、ぐっとおやせになった時期もありました。今年の5月後半にも日本でコンチェルトを吹く予定でしたのに、あっという間にがんでお亡くなりになってしまって残念です。シュルツ先生追悼ミサにウィーンフィル、ベルリンフィル、イタリアのトップ奏者、また日本からはハープのソリスト吉野直子さんやカメラ-タ東京の方たちが集合してヴォルフィの死を追悼しました。これだけの音楽家が演奏会以外で集まるのもまれなことで、本当に、素晴らしい音楽家としてだけではなく、人間としても惜しまれる人でした。 ヴォルフガングは呼吸をするがごとく苦もなく簡単に難しい曲をふいてしまう天才フルーティスト(Zauberflotist) でした 。  須崎昌枝(コントラバス奏者)

gekkan-wienWada_20130701150855.jpg
Foto: Masae Suzaki

PageTop

ヴォルフガング・シュルツの思い出(1)

ウィーン音大で25年間
 ウィーン国立音大のシュルツ先生のフルート・クラスのコレペティ(ピアノ伴奏)、和田篤子さんに話を聞いた。

 和田さんが留学のためウィーンに来て初めて聞いた演奏会がシュルツさんの協奏曲の演奏で、今にして思えばウィーン生活開始の1977年からご縁があった。卒業後和田さんは管楽器クラスのコレペティとなり、その後シュルツ先生のクラスでも働くようになった。それ以来25年間、ウィーン・フィルは定年退職していたが音大では最後まで現役の教授だったシュルツ先生のクラスで、和田さんはフルート学生のために先生と共に過ごしたことになる。

いつも中心にいた
 長い付き合いでシュルツ先生の性格や好物も知る和田さんだが、始めの頃は噂を聞いて『恐い人』だと思ったそうだ。それはレナード・バーンスタインがウィーン・フィルを指揮した時のこと。プローベでバースタインが指揮を連続三度も間違えた時、シュルツさんは後を向いて『彼は振れないんだよ』と言ったという。実は両者は親しい間柄で、これは息抜きに言った言葉なのだが、それを知らない人にとっては恐い印象を与えたようだ。
 和田さんは音大でシュルツ先生とコンビを組んだだけでなく、多くの演奏会を共にした。特に、ボヌール音楽祭や草津国際音楽祭でシュルツさんが皆にみせた労りの心、気配り、サービス精神、優しい人柄に感激したという。
 オーケストラの中心にいるのはフルート。団員はコンマスや指揮者でなく、真中にいるシュルツさんを見ていた。和田さんはシュルツ先生の背中を見て、何を考えているか判ったそうだ。
 シュルツ先生50歳の誕生日祝は『オペラを歌う』こと。オケを抜け、本当に舞台で歌った。60歳の誕生日祝はホイリゲでリカルド・ムーティがピアノを弾き、ミヒャエル・シャーデが歌った。
 虫の知らせか、シュルツ先生の最後の来日の頃、シュルツ・クラスのかつての日本人生徒たちが初めて皆で集合し同窓会を開いたという。
 今年1月入院。その前日までレッスンは続けた。その二ヶ月後に亡くなり、近親者だけで葬式を済ませ、追悼ミサはミヒャエル教会で行った。式の最後にウィーン・フィルがモーツァルトの魔笛の序曲を演奏した。「魔笛の序曲でもう泣くなんて初めて」と言う人もいた。
 シュルツ先生の抱負は《早くオケをやめ、教えるのをやめ、自分の吹きたいことだけをしたい》だった。誰にも真似の出来ない音色で、音楽的に自然に吹く、天才的なフルート奏者だった。

gekkan-wienSuzaki_20130701150855.jpg
Foto: Atsuko Wada

PageTop

記事訂正:スペイン乗馬学校

月刊ウィーン7月号9頁「スペイン乗馬学校」の朝のトレーニングの日時が7月となっていますが、8月の誤りですので、お詫びと共に訂正します。7月はパフォーマンスも朝のトレーニングも開催されません。

PageTop

月刊ウィーン7月号

289-1_20130701150122.jpg
289-12_20130701150123.jpg

PageTop