GEKKAN-WIEN ウィーン日誌

   平成元年創刊 現地オリジナル取材と編集でウィーンを伝える           現地情報紙「月刊ウィーン GEKKAN-WIEN 」の編集長が綴る

Norbert Scheed ドナウシュタット区長

 東京都荒川区と姉妹区のドナウシュタット(ウィーン22区)のノルベルト・シート Norbert Scheed 区長が7月16日、休暇先で心筋梗塞のため急死した。51歳だった。2006年6月から22区の区長を務めていた。gekkanwien.blog14.fc2.com/blog-entry-801.html

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Sachiko Schmid シュミット幸子さん

 ウィーンで長らく生け花の普及に努めたシュミット幸子 Sachiko Schmid さんが病気のため7月6日深夜に永眠。75歳だった。葬儀は7月18日11時から中央墓地第二の門をから入ったホール1で執り行われる。
Wiener Zentralfriedhof, Halle 1 (Eingang 2. Tor, Simmeringer Hauptstraße 234-240)

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Lorin Maazel ロリン・マゼール

 指揮者のロリン・マゼール Lorin Maazel が7月13日、自宅のある米国ヴァージニア州で肺炎のため死去した。84歳だった。 関連記事 gekkanwien.blog14.fc2.com/blog-entry-869.html

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gekkanwien.blog14.fc2.com/blog-entry-563.html

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ヴォルフガング・シュルツさん

シュターツオーパーが3月29日夜に発表したところによると、シュターツオーパー・オーケストラ/ウィーン・フィルの元ソロ・フルーティスト、ヴォルフガング・シュルツ教授が病気のため3月28日に亡くなった。享年67歳。
1946年2月26日リンツ生まれのシュルツさんは世界的に有数のフルート奏者で、1970年にシュターツオーパー・オーケストラに入団、1973年3月にウィーン・フィル団員となり、2011年12月に退職した。1979年からウィーン音大で教鞭をとり、1983年からウィーン・フィルとベルリン・フィルの第一吹奏者より成る吹奏五重奏団「アンサンブル・ウィーン・ベルリン」の創設メンバーとしてソロ・フルートを受け持った。

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サルヴァトーレ・リチートラ

オペラ歌手サルヴァトーレ・リチートラさんが今朝、交通事故で入院中のイタリアの病院で亡くなった。享年43歳。ご冥福を祈る。
イタリア現地の新聞報道によると、故郷シチリア島ラグーザ県シクリで8月27日22時半頃、乗っていたスクーター(ヴェスパ)が道路沿いの壁面に衝突し、リチートラさんは脳と胸部を強打、ヘリコプターで現地カターニアのガリバルディ病院に運ばれたがこん睡状態が続いていた。危篤状態が9日間続いた後の今朝、9月5日9時に死亡。事故当時一緒にいた上海出身の中国人女性(29歳)はヘルメットを着用していたため無事だったという。
今後リチートラさんの遺体はカターニアのオペラハウス「テアトロ・マッシモ・ベッリーニ」に安置され、葬儀が営まれる。
シュターツオーパー広報部からの情報によると、リチートラさんはベルン(スイス)生まれのシチリア(イタリア)人テノール歌手で、パルマで学び、1998年にローマで「仮面舞踏会」でデビュー。1999年スカラ座に「運命の力」でデビュー、2002年メットに「トスカ」でデビュー、その後もチューリッヒ、ミュンヘン、ベルリン、ミラノ、ロンドン、パリ、ナポリ、トゥリン、シカゴ、ワシントン、ロサンジェルスなどでデビュー。ウィーンは2001年シュターツオーパーで「仮面舞踏家」でデビュー、続いて「トスカ」「ノルマ」「アンドレ・シェニエ」「アイーダ」「運命の力」で主演し、合計6演目、36公演をこなした。

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オットー・ハプスブルク

本日早朝、オーストリア・ハンガリー二重帝国の最後の皇帝の長男オットー・ハプスブルクさんがドイツ・バイエルンの自宅で亡くなった。98歳だった。自宅のあるシュタルンベルガー湖畔ペッキングの聖ウルズラ教会、その後ミュンヘン、更にオーストリアのマリアツェルで鎮魂ミサが執り行われ、ウィーンでは7月16日に聖シュテファン大聖堂にて鎮魂ミサの後、カプチーナ教会に埋葬(納棺)される。ブダペストでは追悼ミサのみが行なわれる。ご冥福をお祈り致します。
写真は2010年10月撮影(c)S.k.k.H.Dr.Otto von Habsburg
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指揮者シュテイ

 シュターツオーパーでも活躍していた指揮者ヴイェコスラヴ・シュテイ Vjekoslav Sutej さんが今日12月2日病気のため亡くなった。享年58歳。シュターツオーパーがさきほど発表した。
 クロアチアのリイェカ出身で、1979年から1989年までスプリットのクロアチア国立劇場の芸術監督兼首席指揮者、1986年から199年まで米国ニュージャージーのホリブッシュ・フェスティヴァル芸術監督、1990年から1993年までヴェネツィアのフェニーチェ劇場の音楽監督、1992年から1997年までヒューストンのグランド・オペラの音楽監督、2002年から2005年までドゥブロヴニク・フェスティヴァルの音楽監督、最近までザグレブ・フィルの音楽監督兼首席指揮者だった。ウィーンのシュターツオーパーには1993年5月、チャイコフスキー「スペードの女王」でデビュー、その後、「アンドレア・シェニエ」「ラ・ボエーム」「ドン・カルロ」「蝶々夫人」「ランメルモアのルチア」「リゴレット」「トスカ」「椿姫」「イル・トラヴァトーレ」「ユダヤの女」「ラ・ファヴォリーテ」など17演目、129公演をこなした。最後の公演は2007年4月の「トスカ」だった。ご冥福を祈りたい。

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訃報:ココロのシェフ

 ウィーンのグローバル・ビストロ「ココロ kokoro 」のオーナーシェフ、ヨーゼフ・ハウスベルガー Joseph Hausberger さんが急死し、今日ウィーンのキリスト教プロテスタント系墓地で埋葬が執り行われた。突然の余りにも早すぎる彼の死に、家族はもとより友人や関係者は大きなショックを受けている。9月17日の夜も遅くまで働き、いつもの美味しい食事をお客に提供したその日の夜中、心臓発作に襲われたという。ハウスベルガーさんはチロルのアルプバッハ出身で、豪華客船やデラックスホテルでコックとしてキャリアを積み、韓国のホテル・ヒルトンで働いていた時に韓国人スチュワーデスのソーク Sook さんと出会い、結婚。食事が美味しいことで有名な日本のホテルでは部下総勢200名を従えた総調理長を務め、世界の政治家や有名人のみならずハウスベルガーさんの創作を味わった人は数知れない。自分の店を持ちたいという願いをウィーンで見つけ、シュテファン大聖堂から歩いて数分のところに「ココロ(心)」を開店。その名のとおり、心を込めて、日曜祭日を除く毎日夫が朝のマーケットで食材を選び調理し妻がサービスする家族経営を続けていた。フレンチを基礎に、時には韓国や日本などのエスニックを加え、高級レストランの味が家庭的な雰囲気のもとリーズナブルな値段で味わえるとあって、ウィーン人はもとより日本人や韓国人など在留外国人やツーリストにも人気のウィーンの穴場的レストランだった。世界を駆け巡ってキャリアを積み、最後は母国語の通じる故郷に自分の店を持って、自分の好きなように運営したいというひとつの念願を叶え、店を軌道に乗せ、更に進もうとしているその矢先での突然死だった。心から哀悼の意を表したい。

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訃報:指揮者メルツェンドルファー

 オーストリアの指揮者エルンスト・メルツェンドルファー Ernst Märzendorfer さんが今日の昼、ウィーンで病気のため亡くなった。享年88歳。シュターツオーパー広報部によると、名誉会員である同氏は1921年5月26日オーベルンドルフ(ザルツブルク)で生まれ、ザルツブルク・モーツァルテウムでクレメンス・クラウスに師事。グラーツ・オペラハウスのカペルマイスターを経て、1953年から58年までモーツァルテウム・オーケストラの首席指揮者を務めた。ザルツブルク・フェストシュピーレやブレゲンツ・フェストシュピーレ、ウィーン・フェストヴォッヘンで活躍する傍ら、イタリア、日本、北米、南米など世界中でオペラやコンサートの客演を行なった。オペラのレパートリーが広く、リヒャルト・シュトラウスの全舞台作品を指揮、1965年には米国で「カプリッチョ」を初演した。ウィーンのシュターツオーパーには1959年4月11日、「リゴレット」で指揮デビュー。「リゴレット」(19公演)、「後宮からの逃走」(17公演)、「ファウスト」(16公演)、「蝶々夫人」(16公演)、「無口な女」(14公演)、「薔薇の騎士」(12公演)、「フィガロの結婚」(12公演)など42演目のオペラを285公演、更にバレエを129公演、指揮している。シュターツオーパーでの最後となる414回目の指揮は2007年の「子供のための魔笛」だった。1999年にシュターツオーパー名誉会員に選ばれた。
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訃報:トニー・ザイラー

 スキーのトニー・ザイラー Toni Sailer さんが昨日、地元のチロルで亡くなった。所属するキッツビュール・スキークラブが「長い闘病生活の末に亡くなった」と本日早朝伝えた。脳腫瘍だった。享年73歳。本名はアントン・エンゲルベルト・ザイラー Anton Engelbert Sailer で1935年11月17日チロル生まれ。1956年冬季オリンピックで初のアルペンスキー3冠王となり、戦後オーストリアの若いアイドルとなった。選手引退後は俳優、歌手としても活躍した。

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訃報:歌手ヒルデガルト・ベーレンス

 オーストリア宮廷歌手でソプラノ歌手のヒルデガルト・ベーレンス Hildegard Behrens (1937年2月9日ドイツ~2009年8月18日日本)さんの急逝を悼むメールが今日の午後、シュターツオーパーとザルツブルガー・フェストシュピーレのプレスオフィスから月刊ウィーンにも送られてきた。どちらも亡くなった場所について書いていないが、ORF(オーストリア放送)ラジオではお昼あたりから「東京でベーレンス急死」のニュースを繰り返し流した。ネットでは毎日新聞が「草津で」、共同通信系は「東京の病院で」、招聘元の草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルのホームページでは「東京都港区の病院で午後4時50分動脈瘤破裂のため」、ロイターなど外信系は関信越音楽協会の報道発表として「東京の病院で」とある。≪葬儀はウィーンで≫とも言われているので、分かり次第本ブログで報告したい。

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